不確かな時代を生きるための実存主義入門：自分らしい選択を見つける
現代社会の「不確かさ」と私たち
現代の社会は、変化のスピードが速く、多様な情報や価値観が溢れています。何が「正しい」のか、どう生きるべきなのか、という絶対的な答えを見つけることが難しい時代だと感じている方も少なくないのではないでしょうか。特に、仕事や日々の生活の中で、私たちは常に様々な選択を迫られます。しかし、その選択が本当に「自分らしい」ものなのか、あるいは単に周囲の期待や社会の「正解」に沿ったものなのか、迷いや不安を感じることもあるかもしれません。
哲学は、そうした根本的な問いに向き合うための思考のツールを提供してくれます。この記事では、現代哲学の重要な潮流の一つである「実存主義」を取り上げ、その基本的な考え方と、それが現代社会を生きる私たちの思考にどのようなヒントを与えてくれるのかを丁寧に解説していきます。
実存主義とは何か？
実存主義は、20世紀に大きな影響を与えた哲学の思想です。その中心にあるのは、人間がこの世界に「存在すること」の意味や、個人の「自由」と「責任」を深く問い直す視点です。
歴史的に見ると、哲学は長く「本質」を追求してきました。たとえば、「人間とは何か」という問いに対し、普遍的な理性や魂といった「人間らしさ」を定義しようとしてきたのです。しかし、実存主義は、こうした普遍的な本質よりも、まず個々の人間がこの世界に「実存（存在）」しているという事実を重視します。
実存主義の根幹にある有名なフレーズに、フランスの哲学者ジャン＝ポール・サルトルが提唱した「実存は本質に先立つ」という言葉があります。これは一体どういう意味でしょうか。
- 道具の例: 例えば、ナイフを考えてみましょう。ナイフは「切る」という目的（本質）があって、その後に形（存在）が作られます。つまり、ナイフは「本質が実存に先立つ」と言えます。
- 人間の例: しかし、人間はどうでしょうか。私たちは、生まれる前に「こうあるべき」という明確な目的や設計図（本質）を持って生まれてくるわけではありません。私たちはまずこの世界に生まれ落ち、「存在（実存）」します。そして、その後の人生の中で、何を学び、何を経験し、どのような選択をするかによって、自分自身の「人間らしさ」や「生きる意味」（本質）を自ら作っていくのです。
つまり、人間はあらかじめ与えられた役割や意味を持たず、自分自身の選択と行動によって自らを定義していく存在である、というのが実存主義の基本的な考え方です。
自由と責任、そして「不安」
「実存は本質に先立つ」という考え方は、私たちに大きな自由を与えます。同時に、それは計り知れないほどの「責任」を伴います。なぜなら、自分自身の存在意義や本質を自らが作り出すということは、その全てを自己の自由な選択に委ねられているからです。
サルトルはこれを「人間は自由の刑に処されている」と表現しました。私たちは自由に選択できるがゆえに、その選択から逃れることも、責任を他者に転嫁することもできません。この「自由」の重さから生じるのが「不安」です。
この「不安」は、単なる心配事とは異なります。それは、人生のあらゆる局面で私たちが選択を迫られ、その選択の結果に責任を持たなければならない、という根源的な事実に直面したときに生じる、存在そのものへの「怖れ」や「重圧感」を指します。絶対的な価値観や神、社会の規範といったものが、私たちの選択の根拠を保証してくれない世界では、私たちは自分自身でその根拠を見出し、選択し、その結果を受け入れなければなりません。
また、実存主義は、世界には絶対的な意味や秩序がないという「不条理」の概念も提示します。人間は意味を求める存在ですが、世界そのものに絶対的な意味があるわけではありません。この意味の不在に直面することも、人間の不安や絶望を引き起こす要因となります。
現代における実存主義の意義と応用
実存主義は、時にニヒリズムや絶望の哲学と誤解されることもあります。しかし、その本質は、困難な現代社会を生きる私たちに、むしろ「自分自身の力で生きる」ための視点と勇気を与えてくれるものです。
1. 多様な価値観の中で「自分らしい軸」を見つける
現代社会は、価値観が多様化し、何が「正しい」のかが固定されない時代です。このような状況では、他者の評価や社会の期待に流されがちです。実存主義は、そうした外部の基準に依存するのではなく、自分自身の内面と向き合い、自らの選択と行動を通して「自分らしい」生き方や価値観を構築することの重要性を教えてくれます。
2. 日常や仕事における「主体的な意思決定」
システムエンジニアの方であれば、日々の業務で「正解がない」問題に直面することも多いのではないでしょうか。新しい技術の選定、プロジェクトの方針決定、あるいはチーム内の人間関係など、絶対的な答えが存在しない状況で、私たちは常に「より良い」選択を模索しています。
実存主義の視点を取り入れることは、次のような応用につながるかもしれません。
- キャリアパスの選択: 「安定」や「年収」だけでなく、「何をしたいのか」「どうありたいのか」という自分自身の問いに向き合い、主体的にキャリアを形成していく。
- 問題解決へのアプローチ: 困難な課題に直面した際、既存の枠組みや常識にとらわれず、自分自身の判断と責任において最適な解決策を探求する。
- チームビルディング: メンバー一人ひとりの個性や自由を尊重しつつ、共通の目的のために各自が主体的に貢献するような関係性を築く。
- 失敗からの学び: 選択の結果が期待通りでなかったとしても、それを他者や環境のせいにせず、自己の責任として受け止め、次の選択に活かす姿勢を養う。
これは、単なる知識の習得ではなく、日々の意思決定の質を高め、より充実した生き方を見つけるための思考法と言えるでしょう。
まとめ
実存主義は、人間がこの世界に投げ出され、あらかじめ与えられた意味や目的を持たない存在であるという、根源的な事実を私たちに突きつけます。そして、だからこそ私たちは、自らの自由な選択と行動によって、自分自身の「本質」を創造し、責任をもって生きるべきだと訴えかけます。
「不確かな時代」であるからこそ、私たち一人ひとりが「自分らしく」生きるための羅針盤として、実存主義の思想は、今なお私たちに深く問いかけ続けています。この哲学が提供する視点を通じて、日々の選択や生き方について深く考えるきっかけとなれば幸いです。